前日の記事、電話帳登録大幅削減についての補足的とりとめのない雑感

 昨日(2017年9月22日)、身内・現在の仕事関係以外のスマホの電話帳登録を全て消したと書きました(この記事)。

 本件について、登録を消した関係者に対してその旨の連絡は一切連絡しておりません。

 数少ない友人であれば「あぁまた草木が発症したのかな」で済むと思っています。

 時々変な行動をするキャラクターが認知されていると思うので。

 これはある意味友人に対する甘えなのですが、逆に言えば甘えられる関係だからこそ友人であるわけで。

 あ、甘えと言っても依存とは違っていて、私の個性をわかってくれるだろうという意味の甘えです。

 互いに独立自立している関係です。

 私は依存するのもされるのも嫌いです。

 そういうことを求める人とはそもそも友人となりません。

 尚、友人以外の私の奇行を知らない人からすれば、もし私に電話した場合「あれ?着信拒否された?」みたいになると思います。

 しかし、私は会社に適応できず適応障害を発症し、突然何の前触れもなくまともな挨拶もせず会社を去ったような不義理で頭のおかしい人間ですから、この場合も「あぁまた発症したのかな」で済むと思っています。

 つまり、いずれにせよ「あぁまた発症したのかな」で済むと思っています。

 実際、突然夜中の2時に目が覚めて、ふと思い立って電話帳の登録をどんどん消していくような行為は我ながら病的であると思います。

 その意味で「あぁまた発症したのかな」との私に対する見立ては全く誤解ではなく、とても正しい見解だと思います。

 尚、私に対してこのような見解を持っていない方々については、今回電話がつながらなくなったことで、そのような見解に至ってくれることを強く望みます。

 甘えですが。

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本件で思い出した友人

 本件実行に伴い思い出した友人がいます。

 友人と言っても、もう恐らく7,8年は会っておりません。

 ここ数年は1,2行の年賀状だけのやり取りになっていました。

 そしてその年賀状のやり取りも1年前からなくなりました。

 彼から年賀状の返事が来なかったのです。

 たぶん死んではいないと思うのですが。

 彼はもともと私と同じ、いや、私以上に厭世的・人間嫌い的人間でしたので、返事が来ないことにそれほどの驚きはなく、ついに突き抜けたかとの感想を持ちました。

 彼の気持ちを慮り、また尊重し、私からも今年は年賀状を出さないことにします。

 しかし、私にとって彼はこれからも友人であることには変わりありません。

今後死ぬまで(死んでからも)会うことはないかもしれません。

というか互いに死んでも気づかないかもしれません。

しかし、それこそが、そうした態度こそが、私と彼が友人になり得たことを証明している気がします。

本件に伴いそんなことをぼんやりと考えました。

 おわり
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 ただの雑感でした。

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