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0か1かで考えない①:と言っておきながらまずは逆パターンを

 

epicioci / Pixabay

 タイトルは正確には「0か1かで考えない」ではなく、「0か1かで考えない方がよいこともある」です。

 でも、そんなの当たり前ですよねw

 なぜならこの表現では「0か1かで考えた方がよいこともある」ということをも意味しますからw

 「0か1かで考えない方がよいこともあるが、0か1かで考えた方がよいこともある」

 この表現では全事象を含むことになり、何も書いていないに等しいですw

 あ、「0か1かで考えない方がよいこともあるが、0か1かで考えた方がよいこともある」というこの表現自体が、0か1かで考えないという意志表示ともとれますね。

 まぁいいやw

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ではなぜ「0か1かで考えない」というタイトルにしたのか

 ともかく、ここでより重要なのは、上記のような背景がありながら、私が「0か1かで考えない」というタイトルをなぜあえてつけたのかということです。

 だから、そこのところを簡単に述べます。

 なぜ「0か1かで考えない」というタイトルをつけたのか。

 それは「0か1かで考えない」ことのメリットを最近感じたからです。

 「0か1かで考えない」ことのいいところを最近発見して、それを取り入れて、それがより楽しい人生につながっている感を得ているとも言えます。

 最近です。

 この「最近」というのが重要です。

 つまり、最近まではそう感じていなかったということです。

 私はもともとの性質として、物事を「0か1か」で考えることが多かった気がします。

 そんな私にとって「0か1かで考えない」ことにより、いい感じになるということは新鮮な驚きを伴ってもいます。

 つまり、私にとっては「0か1かで考えない」ことでいかによいことがあったのか、が、「0か1かで考える」ことによるメリットよりも、今書いて伝えたいことなので、このタイトルにしました。

逆に「0か1かで考える」ことのメリットをまずは書く

 私はこれまで「0か1かで考える」ことが多かったと書きました。

 「0か1かで考えない」ことがより伝えたいことではあるのですが、まずはその逆の「0か1かで考える」ことのメリットを自身の具体例を挙げながら述べたいと思います。

 理由は、そっちについてもなんかよくわからんけど少し書きたいからですw

 はい。

 「0か1かで考える」ことのメリット。

 それは、気持ちがスッキリして心理的に安定しやすいことです。

 「0か1か」でスパッとせずに、0.2とか真ん中の0.5とかにするとなんか気持ち悪い。

 気持ち悪いと心が落ち着かない気もします。

 そして潔くない気がします。

 潔くないのはかっこよくないみたいな価値観も自分の中にある気がします。

 潔いのは、断言に似たかっこよさがあります。

 そして物事をあいまいにせず「0か1かで考える」とその先の選択に進む(前に進む)ことができます。

 前に進むと考え方がより深まり、具体的になります。

 考えが具体的になれば、行動しやすくなります。

 行動が変われば人生が変わります。

 その他「0か1かで考える」ことのメリットは色々あるでしょうが、考えるのがめんどくさいのでこのくらいでw

 これだけだとわかりにくいので、私自身の具体例を1つだけあげます。

「0か1か」で考えてよかったこと:退職

 例えば、私が仕事を辞めると決めてそれを伝えると、会社の上司や同僚、産業医、診断書を書いてくださった精神科医、両親や知人や先輩、ほとんどの方が「考え直した方が良い」と言いました。

 私には適応障害という医師の診断書がありましたので、とりあえず会社の休職の制度を使えば、一定期間休むことができました。

 なので周囲からは「休んでゆっくり考えた方がよい」的なアドバイスが多かった気がします。

 周囲には冷静な判断ができない状態と映ったのでしょう。

 ここで、会社を辞めることが「0」、会社に残ることを「1」として、どっちつかずのとりあえず長期間休むは「0.5」と定義します。

 私は、この「0.5」がどうしても受け入れられなかったのです。

 「0.5」を選択すれば、健保の傷病手当金の制度で、給与(正確には健保の標準報酬月額)の一定割合+所属健保組合の独自の給付が一定期間補償されます。

 ですから、一定期間食うのには困らないです。

 しかし、金の問題でなく、自身の気持ちの問題でそういう状態になるのが気持ち悪かった。

 誰か扶養している人がいたり、家や車のローンなど借金があれば、気持ち悪い云々なんていう余裕もなかったのかもしれませんが、特にそういう状況でもありませんでした。

 当時の唯一の家族である元妻は働いて十分な収入を得ていましたし、家は賃貸でしたし、車は現金で買っていましたし、その他借金も0でした。

 よって判断の際には金よりも自身の気持ちが最優先でした。

 そして「0.5」の状態でいることは、「会社を辞めるのか残るのか」という問題を先送りにするだけで何の解決にもならないと思いました。

 もちろん、時が問題を解決するというパターンは存在します。

 例えば、時間を使って情報収集して不足している判断材料を補ったり、精神的にすり減っていてそれが時間でしか回復できない時などには「時」という要素が解決してくれることでしょう。

 しかし、私の場合は大学を卒業してから転職を繰り返して十数年働いてきてとことんサラリーマンは向いていないと十分自覚していました。

 これ以上、サラリーマンに向いているかどうか、判断材料を集める必要はありませんでした。

 また、会社に行きさえしなければ、精神的肉体的な症状は何もなく、薬も初診から「なしでいきましょう」との医師の診断でした。

 つまり、自身の環境を変えることが一番の解決策であることは火を見るより明らかでした。

 環境を変えるとは、同じ会社の中で違う部署に異動させてもらうとか、もうそういう次元の話ではありません。

 会社を辞める、サラリーマンとは別の方法で生きていく、そういうことです。

 ですから、0.5ではなく、0(会社を辞める)と即断しました。

 この決断の早さは今でも全く後悔していません。

 決断することで気持ちがとても軽やかになったのが、何よりの証拠です。

 もし、ここで自身の気持ちよりも周囲のアドバイスに従い「0か1か」で考えず、「とりあえず0.5」という判断をして決断を先送りしていたら、未だに(2017年8月時点)休職中のサラリーマンという立場だったでしょう。

 この1年間での自身の変化、前に進んだ感を考えると、1年間で得られたであろう給与の補償額よりも1,000%(数値は適当)価値ある1年間を送れたと思っています。

 物事をあいまいにせず自分の価値観に従い「0か1か」で考えて、サラリーマンを辞めると即断したことは私にとって時間的、気持ち的、人生充実度的に大変なメリットをもたらしてくれました。

 少し長くなったので、今回はここまでにします。

 散々「0か1かで考える」ことのメリットを述べてきましたが、次回は逆の「0か1かで考えない」ことのメリットを書きたいと思います。

 つづく
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 次回は逆パターンを書くわけですが、正確には、表面的には逆に見えるのですが、深い根底では同じみたいな感じで書くことになると思います。

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