その立場にならなくても、その立場がありありと想像できるようなそんなブログはパワーがある

 

yorgunum / Pixabay

 行動の変化のきっかけの1つとして立場の変化があると思う。

 昨日車を運転していて以下のことをきっかけにそんなことをふと考えたのでそれについてと、そこから考えたことを書く。

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中学生2名が横に並んで車道にはみ出して自転車を運転

 昨日車を運転していたら、自転車に乗った中学生2名が車道にはみ出して並んで走っていた。

 対向車線にはトラックが路駐していたので、それをよけるように対向車がこちらの車線にはみ出して向かってくる。

 一方で前には自転車が2台並んでのろのろ走っている。

 自転車を抜きたいが、対向車が来るので抜けない。

 仕方なく少しの間自転車の後ろをのろのろ走った。

 その時に思った。

 中学生は車を運転しないから、自分たちが2列に並んで走っていることがどれだけ迷惑で危ないことなのかわからないのだろうなと。

 何を隠そう私だって中学時代同じようなことをしていた。

 確か、私の中学では自転車のマナーが悪いとかで近所からしょっちゅう学校にクレームが入って、1列に走るように何度も学校で指導があったような気もする。

 でも中学生からしたら2台で並んでしゃべりながら走っている方が楽しいから、そんな指導は馬耳東風。

 そして中学生は大人になってやがて自分が車を運転するようになって初めて実感を伴って気づく。

 自転車が横に並んで走ることが車を運転する者にとって、いかに迷惑で危ないかに。

 これはもう仕方がない。

 車を運転する立場にならなければ、自転車に乗るときの行動は変化しない。

 そんなもんだと思っている。

これはあらゆることに言える

 例えば、実際に親(の立場)にならなければ、親の気持ちはわからないので、親の気持ちを踏みにじるような行動をしつづける。

 または、飲酒運転で人を殺してしまって、初めて飲酒運転はやばかったと後悔する、などなど。

 その立場になってから初めて気づくようでは取り返しのつかないことも多々ある。

 例えば2つ目の例のように、人を殺してしまってから「飲酒運転やばい」と気づいても遅い。

 また、冒頭に挙げた例のように横に並んで自転車を運転していて、後ろから車にひかれて寝たきりになってからでは遅い。

 いや、どんな状態になってからでもやり直しはきくと考えれば遅いことはないのだけど、ここで言いたいのはそういうことではない。

 ここで言いたいのは、実際にその立場にならなくても、その立場を想像して行動できるようになったほうがいいのではないかということだ。

そういう意味で印象に残っていること

 もう10年前くらいの自動車運転免許更新の時のことだったと思う。

 30分位のビデオを観た。

 そのビデオでは結婚して子どももいる幸せな日常を送っている男が主人公だった。

 その男が軽い気持ちで飲酒運転してしまい、人をはねて殺してしまったという話だった。

 被害者の葬式に行けば、罵詈雑言を浴びる。

 会社では噂が流れていずらくなり辞めてしまう。

 奥さんとは離婚し、子どもとも離ればなれで家庭崩壊。

 男は軽い気持ちで飲酒運転してしまったことをひどく後悔して泣いてバッドエンド。

 そんな話だった。

 

 私はもう何回も運転免許の更新をしているから何回もビデオは見ているはずだけど他のは全部忘れてしまった。

 でもこのビデオは強烈に印象に残っている。

 あぁ飲酒運転で人殺しちゃったらシャレにならんのだなと、実感を伴って理解した。

 つまり飲酒運転で人を殺しちゃった人の立場を映像を通して疑似体験した。

 私が飲酒運転をすることはないだろう。

ブログでそんな記事が書けたらすごい

 その立場にないのに、その立場をわからせる、疑似体験させる、そんな熱のこもった記事が書けたらすごい。

 そんな記事は人の行動を変える。

 別に人の行動を変えるためにブログを書いているわけではないけど。

 でも、人の行動を変えるようなブログはパワーがあると思う。

 そういうブログはすごいブログだと思う。

 

 ふとそんなことを考えた。

 おわり。

読んでいただき、ありがとうございました。

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