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ブッダはなぜ腹が立たないの(島田裕己)を読んだ感想:自分で決めるって大事だなと改めて思った

 昔買った本です。

 私は仏教の開祖ゴータマ・シッダールタ(ブッダ)さんが好きです。

 尊敬しています。

 なぜ尊敬しているかというと、ブッダの教えは自分の頭をクールにしてくれるからです。

 「そんなの自分で勝手に何かに反応して作り出した妄想でしょ」みたいな。

 私にとっては「それあなたの問題なの?」的に課題の分離をしてくれるアドラーに似た意味で好きです。

 そんなわけで、私はブッダが好きなので、彼の伝記的な本を読むのも好きです。

 なので彼の伝記は何冊か読んでいます。

 

 もっとも何冊読んでも同じ人の伝記なので、内容は似通っていますがw

 そんなわけでこの本も買いました。

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どんな本か?

 2011年5月18日第1刷の本です。

 宗教学者の島田裕己さんが著者です。

 2名の対話形式で書かれています。

 ブッダのことに詳しい何者かとブッダのことを知らない若い女性?と思われる2名の対話です。

 文字数もページ数も少なく(全111ページ)、あっという間に読めます。

 内容はブッダの伝記的な要素が半分、悟りとはなんなのかという要素が半分と言ったところです。

 ちなみにブッダとの対比で、イエス(キリスト)も少しだけ出てきます。

 ブッダのことや原始仏教のことを知らない方が、ざっくりと手軽に気楽にそれらを知るのに良い本だと思います。

感想

①大前提

 この本では後半で悟りとは何なのかに迫っています。

 悟りの境地には知識を究極に詰め込んだからといって到達できるわけではありません。

 なので自分で体感するしかありません。

 というわけで、文字で書かれた本で悟りを理解するというのがそもそも無理な話です。

 そして、世の中の大半の人は悟っていないと思われるわけで、この対話で悟りを説明している人物(=著者?)も悟ってはいないわけです。

 それが大前提なわけですが、だからと言って悟っていない人の話は何も受け入れないということでは、悟りについて知りようがありません。

 何しろ、次にブッダのような人=弥勒菩薩がこの世に現れるのが56億7,000万年後らしいですからw

 その頃にはとっくに私を含めた今この世にいる全ての人が死んでますw

 だから悟りについて知りたければ、悟ってはいない人による「悟りってこういうことではないか?」という解釈を手がかりにして迫るしかありません。

 ちなみにこの本では、悟りと関連して「腹が立つ、立たない」という身近な現象について以下のように説明しています。

 悟りについて直接説明しているわけではありませんが、面白いので以下取り上げます。

②腹は立てないと決めたので腹が立たない

 以下引用。

(引用開始)

 ブッダは悟りを開いたとき、こころがまったく動じなくなったんじゃない。

 地震がくれば地面が揺れるように、何か起こればブッダのこころも揺れる。

 揺れるけれど、とりあえず悟りはある、絶対に人は救われるって、そう決めた。

(中略)

 腹が立つってことについても、腹は立たないって決めた。そういうことにした。

(中略)

 腹が立たないっていう心柱があるから、怒りはすぐに吸収されて、少しすれば跡形もなくなる。

(引用終了)

(タイトルの著書のP106~P109より引用。文字の強調は引用者による)

 上記説明の前に、五重塔が心柱があるおかげで地震に強いという説を取り上げています。

 それと関連して上記のような説明をしています。

 腹は立たないと決めたので、腹が立たないという説明ですね。

 言葉遊びのようですが、つまりは「自分で決める」ことが大事だと言っているわけです。

③自分で決めることの重要性

 私が上記の説明でいいなと思ったのが、まず自分で決めるというところですね。

 そこから全てが始まるというか、それがないと刺激に反応するだけの存在になるというか。

 この「自分で決める」というのが最近の私のテーマだからこそ、この本を読んでいてこの部分が今の私に響きました。

 自分の生き方は自分で心柱を立てて決めていかないと、容易に世間の常識という刺激に流され、ただただそれに反応するような人生になっていってしまいます。

 そうならないようにするには、自分で何かを決めて、それにしたがって歩むしかありません。

 その決めたことが、世間の常識からずれていればいるほど、なかなか生きにくいかもしれません。

 社会や他人(=世間)は自分を異端として見るかもしれません。

 それでも自分でそのように生きると決めたのであればそれも仕方がありません。

 でも別にそういった世間の刺激に対して腹を立てたり、過度に落ち込んだりする必要・必然性はありません。

 ただただ「世間はこのように私を評価した」という事実をあたかも映画を観る観客のように客観的に受け止めるだけです。

 そのために『ただただ「世間はこのように私を評価した」という事実をあたかも映画を観る観客のように客観的に受け止めるだけ』と決めれば(意識すれば)よいのです。

 そう決める(意識する)ことで「ただただ刺激に反応する」という状態から一歩進むように思います。

 そんなことを改めて考えさせてくれた本でした。

 おわり。

↓この本の感想を書きました。

読んでいただきありがとうございました。

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