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『哲学的な何か、あと科学とか』(飲茶)を読んだ感想:哲学に興味がない方にこそ読んでほしい本

 『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』を書かれた飲茶さんが著者です。

 私は『史上最強の哲学入門』を読んで飲茶さんのファンになり、『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』も読みました。

 何と言っても、飲茶さんの解説はわかりやすいです。

 そして面白いです。

 難解なことをわかりやすくかいてくださる方です。

 そんなわけで、飲茶さんの他の著書も読んでみたいと思い、文庫版が新しく出ていたので買いました。

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どんな本か

 この本では、量子力学などの話を通じて科学の限界等について述べています。

 科学の話というと難しい数式とかが出てきそうですが、この本では一切出てきません。

 

 数式なしで考え方をわかりやすく教えてくれます。

 科学の限界とは何か。

 以下引用します。

(引用開始)

結局のところ(中略)ある「現象」に対して、それを説明できる「解釈」は、いくらでも作り出すことができ、どれが正しいか知る術は存在しない。

これが、量子力学以降の科学の状況である。

(中略)

科学ができることは、

実験結果となるべくぴったり合う、ツジツマの合った理論体系(数式)を提供すること

だけなのだ。

(引用終了)

(タイトルの著書のP218、221より引用)

 つまり、現在の科学の立ち位置は、一般的にイメージする、正しいこと、真理を追究するためのものではないらしいです。

 そうではなくて、現在の科学は「正しいかどうかはわからないけど、こういう理論体系(数式)で考えると実験で観測された結果を説明できる」的ないわば道具的なものとなっているようです。

 と、このように結論だけ書いても科学に明るい人でなければチンプンカンプンかもしれません。

 しかし、この本を読むと、科学がそういう立ち位置になった経緯がよくわかります。

 科学に無知な人にもとてもわかりやすく説明されています。

 少なくとも私はよくわかりました。

 それから、この本には上記のような科学の限界だけでなく、「私」というか「意識」ってなんだ?的なことについても書かれています。

 脳が分割された人に対する実験結果からわかることとか、どこでもドアに関するドラえもんとのび太のやり取りなどを通して、「私」というか「意識」について深堀りしています。

 その辺の話も面白かったです。

 尚、この本のレビューを読むと哲学とか科学の専門家らしき数名の人から、この本で提供されている科学や哲学の考え方は正確でない的な意見が出ています。

 私は、いずれの専門家でもないので、その意見が妥当かどうか判断のしようがありません。

 でもたぶん、一部不正確な記述があるのでしょう。

 しかしこの本の説明がわかりやすいことに変わりはありません。

 そして、考え方として全くデタラメなことが書かれているとも直観的には思いません。

 科学や哲学に関するざっくりとした考えた方の方向性としては正しいのではないかとすら思います(直観ですが)。

 なので、科学や哲学について何も知らない方が導入として読むのには良いと思います。

 また、この本で興味を持ったことでもっと掘り下げたいことについては、より専門的な本なり情報なりを得て自分で考えればよいのではと思います。

感想

 とにかくわかりやすいです。

 これが飲茶さんの本の特徴ですね。

 科学とか哲学とかって難しそうでとっつきにくい、でも興味はあるという方には、わかりやすく面白い本なのでおすすめできます。

 飲茶さん自身、なぜ哲学をするのかというと、単純に面白いからやっているそうです。

 先人の知恵が詰まった面白い本をたくさん読みたいけど、サラリーマン生活が忙しくてその知識に触れられない、そう考えて会社も辞めてしまったそうです。

 飲茶さんの知の探究心は筋金入りですw

 飲茶さんは、哲学の面白さを知らない人に哲学の面白さを伝えたくてこの本を書いたそうです。

 その目的は私に対しては成功しています。

 とても面白かったです。

哲学の面白さがわかる本なので哲学に興味がない方にこそ読んでほしい本です。

 さて、私がこの本を読んで一番いいなぁと思ったのは、カール・ポパーという人の考え方でした。

 結局何事も決断しなければ物事は進まないということがよくわかりました。

 ポパーの考え方を説明している箇所を最後に引用してこの記事を終わります。

(引用開始)

ポパーは、

「結局、このような疑いを乗り越えて、何らかの科学理論を構築するためには、どこかで疑いを止める地点を<決断>しなくてはならない」

と述べた。

「人間は、原理的に、どの観察や理論が正しいかを知ることはできないのだ。だから、人間は、どこかで疑いを止めなくてはならない。どこかで『この観察・理論は絶対に正しい!」という<決断>をしなくてはならない。そういう<決断>にもとづいて、理論を構築していかなくてはならない」

つまり、科学理論とは、

うるせぇんだよ!とにかくこれは絶対に正しいんだよ!

という人間の<決断>によって成り立っており、そのような思い込みによってしか成り立たないのだ。

そして、それは、すべての理論体系(哲学、倫理、宗教)について、当てはまることである。

(引用終了)

(タイトルの本のP253~254より引用)

 おわり。

読んでいただき、ありがとうございました。

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