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プロフィール1:幼少期(幼稚園入園前)

 

 ご覧いただきありがとうございます。

 私は誰かのブログを読むときに、プロフィール的な個所を読むのが好きです。

 そして私はドキュメンタリー的な番組(フジテレビのザ・ノンフィクションとか)が好きです。

 つまり、その人の人生を垣間見るのが好きです。

 なぜ好きなのかと言われると、理由になっていないというか、同義語反復的、トートロジーな感じで何も言っていないに等しい感じですが、興味深い(≒面白い)からです。

 そんなわけで、このブログでもいずれプロフィール的なことを書きたいと思いながらもずっと書かずに今日まで来てしまいました。

 でも今朝風呂に入っていたらなぜか幼少期のことを色々思い出すことがあって突然書きたくなってきました。

 ブログで書ける範囲にはなりますが、何回かに分けて書いてみたいと思います。

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プロフィール

1.幼少期(幼稚園入園前)

①パンツの濡れを嫌がる

 生まれて間もない赤子の頃は全然寝ずに数時間おきに起きてよく泣く子どもで親の手を煩わせたそうです。

 ある日ずっと泣き止まないことがあったそうです。

 ミルクを飲ませても泣き止まない。

 オムツを見ても汚れていない。

 しばらく小便が出ていないので便所に連れて行ったらジャーッと勢いよく小便をしたそうです。

 オムツが汚れるのが気持ち悪かったのでしょう。

 だからオムツが取れるのは早かったそうです。

 このエピソードには思い当たる節があります。

 私はつい最近まで、時々小便をした後に、出しきったと思っていたのに出しきれていない尿がちょろっと出てしまういわゆる「追っかけ漏れ」に悩んでいました。

 これは物凄く気持ち悪いです。

 もう物凄くブルーになります。

 「三つ子の魂百まで」とはこのことでしょうか。

 尚、現在はこの「追っかけ漏れ」を防止するある画期的な方法を知って、悩むことはなくなりました。

 この画期的な方法についてはいずれ記事にしたいと思っています。

②みかんを「オーレンジ」と発音し「末は博士か東大か!?」的なことを言われる

 言葉が話せるようになった頃、母がいつものように近所で井戸端会議をしていた時のことです。

 私が母に近寄っていき、みかんを指さして「オーレンジ」と発音したそうです。

 これを聞いた近所のおばさんたちは「無量くんは末は東大か!?」的なことを無責任におっしゃったそうです。

 しかし、あくまでもその場限りのこと、誰もそんなことは本気で思っていません。

 私、草木無量がこの後、東大に進学することになろうとは誰もこの時本気で想像していませんでした。

 そして本気で周囲が想像していないことなど当然起こるはずもなく、私は東大とは無縁の生活を現在も送り続けております。

③父と母について

 上記エピソードで私が母に感謝しているのは、幼い頃に私に手作りの言葉の教材を作ってくれたことです。

 私がやたら言葉に興味を示すことを感じ取った母は、手作りの言葉の教材を作ってくれたのでした。

 ちなみに私の家は決して裕福ではありませんでした。

 ですから市販の教材は多くは買えません。

 というわけで手作りというわけです。

 それが「オーレンジ」発言にもつながっているものと思います。

 幼い頃から言葉に興味を示した私が今ブログをやっているのは、母が教材で言葉への興味を伸ばしてくれた影響もあるのでしょう。

 これまた「三つ子の魂百まで」と感じます。

 ちなみに母のことだけ褒めると不公平なので父のことにも触れておきます。

 私は幼い頃は父親っ子だったようです。

 父は怒らない人でした。

 それでなついていたのかもしれません。

 いや正確には「怒らない人」でなく「怒れない人」だったような気がします。

 あ、過去の人のようになってますが、まだ存命中ですw

 ちなみに私もどちらかというとあまり怒れない人です。

 

 妻からは、私の性格は父にそっくりだとよく言われます。

 転職を繰り返したところもそっくりです。

 それでも父は転職を繰り返しながらも60歳までサラリーマンとして働きました。

 私と似た性格で、しかも私よりも職人的な人ですから、組織人として仕事をするのはあまり好きじゃなかったはずだと思います。

 それでも60歳までサラリーマンをやったわけですから大したものです。

 ちなみに定年後は、同じ会社での再雇用を自ら断り、1年くらい遊んだ後、今は全く関係ない職種で気軽にアルバイトをしています。

④独特な遊び

 私は集団に入って遊ぶような子どもではありませんでした。

 砂場で1人で山を作ってそれで満足みたいなそんな感じです。

 まぁそれだったらまだ理解できる範疇なのですが、独特な遊びもしていたそうです。

 その遊びでは三輪車を使います。

 「三輪車だったら別に普通じゃないか」と思われるかもしれませんが、使い方が画期的です。

 私がやっていたのは三輪車をひっくり返してひたすら車輪を回すという遊びでした。

 ほっとくと1時間もそれをやっていたそうです。

 はじめは座った姿勢でやっています。

 やがて疲れてくるのでしょう、姿勢が崩れて寝そべるような感じになるのですがそれでも手を伸ばして車輪を回すのです。

 アスペルガーの香りがします。

 これはさすがに「三つ子の魂百まで」とはいかないのですが、独りでいるのがさほど苦痛にならないという意味では、やはり私の根本にある性質なのでしょう。

⑤保育園中退

 私の母は結婚をしてからも仕事をしていました。

 たぶん私を生んだ時に1度仕事を辞めたのだと思いますが、私が2歳になったときに再び仕事に就きます。

 2歳で私は保育園に入りました。

 しかし、毎朝行きたくないと泣き、保育園に着いても泣いていたそうです。

 そして帰りに迎えに行くと、今度は帰りたくないと泣く。

 いったいどうしたいのかわかりませんが、私もこの時の記憶が全くないのでわかりません。

 まぁ気持ちの切替が相当へたくそだったのでしょうね。

 今もそういうところがあるっちゃあります。

 今手元に保育園が作ってくれたアルバムがあるのですが、その中の写真でも泣いています(笑っている写真もあるのですが)。

 結局、入園からしばらくの時が過ぎても毎日朝も夜も泣くという親からしたらとんでもない状態だったので、母は仕事を辞めて家で私をみることになりました。

 というわけで保育園は7か月で中退してしまいました。

 先ほどアルバムの話をしましたが、そんなわけで私の保育園のアルバムは3ページだけ写真が貼ってあり、残りの21ページは白紙(といっても黄ばんでますが)となっています。

 幼い頃は素の自分が出やすいと思いますが、まさに素の自分は現在と同様、集団に適応できない感じでした。

 少し長くなったので、つづきはまた後日書きます。

 つづき↓

プロフィール紹介の2回目。幼稚園時代です。

読んでいただき、ありがとうございました。

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