この本との出会いは偶然でした。
昔、ヴィレッジヴァンガードで「世界一うまいポテトチップス」というポップで売り出していたポテトチップスを買って食べたことがあります。
分厚くてうまかった印象があります。
久しぶりにこれを求めて宇都宮のララスクエアにあるヴィレッジヴァンガードに行きました。
結果、求めていたものはなかったのですが、その代わりにこの本『運は「バカ」にこそ味方する』(桜井章一著)に出会えました。
幸運でした。
出版年と著者について
2013年6月初版の本です。
著者は桜井章一さんという方です。
桜井さんは1943年の生まれですので今年(2017年)74歳ですね。
麻雀の代打ちで20年間負けなしというとんでもない伝説を持っていて、「雀鬼」と呼ばれていた(る?)そうです。
現在は「雀鬼会」を主宰し、麻雀を通して人間力を鍛えることを目的とした活動をされています。
尚、他にも著書が数冊あるようです。
正直、私はこの本を読むまで存じ上げなかったのですが、本を読んでその生き様や考え方がとても魅力的な人だと思いました。
もっとも桜井さんは「考えるよりも感じることの方が大切」ということを読者に伝えているので、「考え方」が魅力的という感想は変なのかもしれませんが。
そういう意味では、この本の内容を実践するならば、「考え方が魅力的だと思いました」よりも「考え方が魅力的だと感じました」という表現をすべきですね。
実際、心に響くものがありました。
どんな本か
一言で言うと「考えるよりも感じるままに生きた方が楽しいし気持ち良い」ということを読者に伝える本です。
そうした生き方をしていると感性が磨かれ運もついてくると書かれています。
この桜井さんの結論は、何か文献等の過去事例を引用・参考したとか、頭だけで考えて導き出した結論ではありません。
桜井さん自身がこれまで生きてきた実体験を基に出した結論であることが伝わってきます。
そんな本です。
以下で私の感想とともにさらに掘り下げていきます。
感想
感想①:「自分に合う」の選択の積み重ねで生きることの意味のデカさは物凄い
桜井さんの生きる上での判断基準は次のようにシンプルです。
(引用開始)
私の中にある、生きる上での判断基準は、
「楽しいか、つまらないか」
ただそれだけである。
(引用終了)
(タイトルの著書のP26より引用)
まさに、考えるではなく、感じるですね。
このような判断基準なので、大学卒業後サラリーマンになるという選択をしなかったようです(慕っている知人の会社で無給で働き始めたそうです)。
ちなみに「楽しい」というのは「楽」というのとはまた別ですね。
「楽しいか、つまらないか」という判断基準は言葉を変えれば「自分に合うか、合わないか」とも言えます。
再び桜井さんの言葉を引用します。
(引用開始)
私はいままでの人生において何ごとも「自分に合う」ものを選んでやってきた。
「これは自分に合うのか、合わないのか」
人にしろ、ものにしろ、決まりごとにしろ、その対象が自分と相性がいいのか、悪いのかを感じ、進むべき道を決断してきたのである。
(引用終了)
(タイトルの著書のP112より引用)
ただ、これは簡単なようで実際は難しいです。
例えば、サラリーマンだったら「自分に合わない」仕事でも業務命令なので「YES」と言わざるをえないのは、まぁ仕方がないかもしれません。
通勤の満員電車が「自分に合わない」と思っていても家庭や仕事や金銭の都合で乗車時刻や通勤手段を変えられないのは、まぁ仕方がないかもしれません。
職場に「自分に合わない」人がいるから毎日ストレスをためてしまうのは、まぁ仕方がないかもしれません。
サラリーマンのほんの一部の例しかあげていませんが、このように世間で「まぁ仕方がないよね」という空気になっているものはいくらでもあります。
このような「自分に合わない」ことでも受け入れてしまっていることは誰しも多々あると思います。
しかし、桜井さんはある意味厳しくこのように続けます。
(引用開始)
相性の悪い空間に身を置き、そんな我慢を重ねていれば、「合う、合わない」の感覚はどんどん鈍くなってくる。自ら感じる力を閉ざしているのだから、相性を感じる感覚など鈍って当然だ。
そのような生活を続け、相性のよし悪しがわからなくなれば、人生の節目に現れる選択肢も間違ったものを選んでしまうことだろう。
結果、大切な自分の人生を、どんどんつまらないものにしていく――。
私はそんな人生なぞ真っ平御免である。
私は楽しく、気持ちよく生きていたいし、それは誰しもできることだと思っている。実際にやるかやらないかは君次第だが、試しに損得や利害からは距離を置き、「合う、合わない」を感じ取る自らの感覚を最優先にしてみてほしい。
「自分に合う」ものを最優先にしていれば、それが”自分らしさ”というものにも繋がっていく。
(引用終了)
(タイトルの著書のP113~P114より引用。太字強調は引用者による)
なかなか厳しい言葉です。
そして、感性が鈍るとはこれまた恐ろしいです。
でも、この言葉、私の少ない経験・体験ではありますが、それに照らし合わせると、めちゃくちゃどストレートに響きます。
私はサラリーマンを辞めてしまいました。
これは計算していついつで辞めるとか計画して辞めたのではなく、「もう限界」というところまできて突発的に辞めてしまいました。
周囲には全力で止められましたが、退職の意思は「もう限界」と思った瞬間から1ミリもぶれませんでした。
「自分に合わない」が限界点まできてしまい、それこそ感覚に従って、もう「このような働き方、生き方はしたくない」という自分の判断に従いました。
この判断に全く後悔はありません。
そして会社を辞めてみると、「自分の人生は自分で決められる」というしごく当然の事実に気付きました。
もう私の人生を会社が決めることはないため、毎日私自身による選択の連続ですが、それが「自分らしさ」ということなのでしょう。
別に特にしたいことなんてないと思っていた自分が、今はしたいことが多くて時間が足りないとすら思う程度には「自分らしさ」が見えてきました。
アラフォーになってようやく心の底から自分らしく生きることができるようになった気がします。
このような自身の経験から上記引用箇所は、私の心にずしりと響き、特に響いた箇所を太字強調した次第です。
「自分に合う」の選択の積み重ねで生きるのは、ある意味当然なのですが、その当然のことを積み重ねることの人生における意味のデカさはおそらく物凄いと思います。
他にも引用したい箇所があるのですが、長くなったので一旦ここで終わります。
つづき↓
↓これの読書感想文を書きました。
読んでいただき、ありがとうございました。
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合掌