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『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想③ ヤージュナヴァルキヤすごい

この記事は続き物で以下が最初の記事です。未読の方はよろしければ先にどうぞ。

『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想その1。どんな本かをごく簡単に説明。

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ヤージュナヴァルキヤって知ってますか?すごい人です。

私はこの本を読むまで知りませんでした。

 紀元前650年頃~紀元前550年頃に生きたインドの人です。釈迦より昔の人です。以下、彼のエピソードを本より引用します。

(引用開始)

あるとき、王は、インド中から識者を集めて討議大会を開催し、その開催の挨拶として参加者に向かって次のように言った。

「このなかで最も優れたバラモンは誰だぁぁぁッッ!?私はそれを知りたいッ!見よ!ここに黄金をツノにくくりつけた牛が千頭いる!最も優れたバラモンにはこれを与えよう!」

(中略)

ヤージュナヴァルキヤは悠然とみんなの前に歩み出し、そして自分の従者に向けてこう言い放った。

「ならば、それはオレのものだ。運び出せい!」

(引用終了)

(P27より引用)

 この言い回しはバキ風なのか?

 しばらく読んでいないので忘れてしまったが、たぶんバキってこんな感じだったと思う。

 この「バキ風×哲学」的な要素がところどころに入ってくるのがこの本の楽しさだと思う。

 さて、ヤージュナヴァルキヤ。

 この自信!

 たいていこういうキャラがマンガで出てくるとあっけなくやられて消えるのが相場だが、宣言通り次々と対戦相手のバラモンたちを論破し優勝してしまう!

 彼の実力は本物だった。

ヤージュナヴァルキヤが不死について妻に語った言葉がすごそう!でも難しいよ・・・

 以下引用。

(引用開始)

「アートマンとは不滅のものであり、本性上破壊されないものである。

(中略)

アートマンについては『に非ず、に非ず』としか言えない。

それは捉えることができない。なぜなら捉えようがないからである。

それは破壊することができない。なぜなら破壊しようがないからである。

それは執着することができない。なぜなら執着しようがないからである。

それは束縛されることもなく、動揺することもなく、害されることもない。

ああ、どうやって認識するものを認識できるであろうか?

妻よ。不死というのは、こういうことなのである。

(『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』)

(引用終了)

(P30より引用)

 いやいや、どういうことですか?

 妻わかったのかな?

 一読して私には全く意味がわかりませんでした。

 実はヤージュナヴァルキヤの項の最後にまた同じ言葉が引用されています。

 なんとその時にはこの言葉が私にもなんとなく理解できました!

 その間に何があったか?

 飲茶先生のていねいでわかりやすい1歩1歩理解を助けてくれる解説がありました。

ヤージュナヴァルキヤは「私」の本質を語っていた!そして何とあのフランスのカリスマ哲学者も同じことを言っていた!

 ちなみに上述の「アートマン」とは「自己」とか「私」と言う意味です。

 飲茶先生が上述の言葉を短く、そしてわかりやすく言い換えているので以下引用します

(引用開始)

「アートマンは捉えることができない。なぜって捉えようがないからさ。

だってよくよく考えてみてごらん。

どうやって、アートマン(認識するもの)を認識することができるだろうか?

いやできるわけないだろう!

だからアートマンは、絶対に捉えられないのだ」

(引用終了)

P32より引用

 このあと飲茶先生は、ていねいに順を追ってアートマン=私とは何か?ということをわかりやすく説明してくれます。

 しかしここでは結論だけ書きます。

 実はこの説明過程がこの本の面白さだとも言えます。

 そしてその過程があるからこそ理解が進むというのも事実です。

 だからそこを省略してしまったらなんのためにこの記事を書いているのか、とも思ったりします。

 なぜなら、学校の倫理の教科書みたいに結論とか単語のみが羅列されていると楽しくないし、記憶にも残りにくいからね。

 まぁでも、それを全部書いてしまったらこの本を読む楽しみがなくなってしまうし、著作権とか持ち出すまでもなくそうすべきではないと思うし、書くのに時間がかかるのでめんどくさいから、過程をすっ飛ばして結論のみ書きます。

 アートマン=私とは、「色を見たり、痛みを感じたりするもの」です。

 つまり、アートマン=私とは、「認識するもの」です。

 ヤージュナヴァルキヤは「どうやって、アートマン(認識するもの)を認識することができるだろうか?」と言っているが、これは反語みたいなもんで、「アートマン(認識するもの)を認識することは絶対にできない」と言っているのです。

 どういうことか。

 アートマン(認識するもの)を認識できたと仮定すると、『「アートマン(認識するもの)を認識できた」と言っているアートマン(認識するもの)』が存在することになります。

 そうすると上記の『 』で囲ったことを言っているアートマン(認識するもの)も存在することになり・・・とエンドレス。

 このような状況を「無限遡行」と言うそうです。

 つまり無限にこの状況が続くわけなので「アートマン(認識するもの)は認識できない」ということが証明されます。

 ちなみに、この「アートマン(認識するもの)は認識できない」ということと同じようなことをフランスの20世紀のカリスマ哲学者サルトルも言っているそうです。

 カリスマサルトルが言っていることを既にその2,500年前に語っていたヤージュナヴァルキヤ。

 ただ者ではない。

 ものすごい男である。

 ちょっと長くなってしまいました。

 まだ54ページまでの感想です。

 まだ書きたいことがあります。

 次回へつづく↓

『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想のその4。「私は〇〇である」との思い込みがあらゆる不幸を生み出す原因である、ということについて書いています。

 

読んでいただきありがとうございました。

合掌

↓この本について書きました。

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2)

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