『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想②

 

 この記事は以下の記事の続きです。未読の方はよろしければ先にどうぞ。

『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想①
『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想その1。どんな本かをごく簡単に説明。

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西洋哲学と東洋哲学の違いについて理解したこと及び感想

 この本では冒頭に西洋哲学と東洋哲学の違いについて書かれています。

 これを読んで西洋哲学と東洋哲学の違いについて自分なりに理解したことと感想を書いていきたいと思います。

 その前に、私としては、もともと哲学と言えば論理で徹底的に突き詰めて真理に到達するというイメージを持っていました。

 だから哲学と言えばソクラテスに始まる西洋哲学こそが「THE哲学」というイメージをもともと持っていました。

 だから私にとって哲学に最初に触れたのはソクラテスだったし、「無知の知」とかかっけー!俺も議論とかで論理立てて本質を問うて周囲から一目置かれて~な~なんて思ってました(尚、その素質はなかった模様w)。

 話を戻すと、西洋哲学は論理立てて考えて真理に到達しようとする。

 飲茶さんの説明では、先人の哲学者の論を乗り越えて高み高みへと1歩ずつ階段状に登って真理に近づいていくイメージ。

 対する東洋哲学は、まず究極の真理に到達しちゃった人がいる。

 例えば釈迦とか孔子とか。

 西洋哲学と全く逆。

 西洋哲学が真理というゴールを目指すのに対し、東洋哲学はゴールに到達したところからスタートする。

 つまり全く逆。

 釈迦にしたって「私は悟った。真理に到達した。」とか言ってゴールしているのである。

 で、その釈迦の言葉を解釈することに力がそそがれていく。

 飲茶さんは西洋哲学が階段型であるのに対し、東洋哲学は真理に到達した人を頂点とするピラミッド型と言っている。

 つまり仏教にしたって釈迦入滅後は様々な宗派に分かれていくが、ピラミッドの底辺には様々な解釈があふれまくるわけである。

 東洋哲学では真理に到達した人は正しいという前提であり、その解釈が体系化されていくという特徴がある。

 そして、だからこそ、ピラミッドの頂点にいる者は様々な伝説が付加されていき、やがて宗教的になっていく。

 さらに西洋哲学は論理の積み上げなので、西洋哲学史を順番に学んでいけば、難解と言えども一応理解できる。

 しかし、東洋哲学者は多くを語らない。

 例えば、「悟り」とかって言葉で説明して、その言葉を理解しても悟れるとは限らない。

(引用開始)

「もっとも東洋哲学(釈迦の悟り、老子のタオ)とは、実際にその境地に達し体得してはじめてわかるものであって、言葉でだけ学んでもホントウのところはわかりません」

(引用修了)

P20より引用

 東洋哲学には理解するのにこのような絶望的な困難さがある。

 あれ?なんか私が書くと面白くないなぁ。

 本書を読めばもっと楽しく東洋哲学と西洋哲学の違いが学べます。

 感想としては、わかりにくいことをわかりやすく教えてくれる先生に出会った時のような感動があります。

 興味のある方は読んでみてください。

 まだ20ページまでの感想しか書いていないOTZ

 次のヤージュニャヴァルキヤの哲学では改めて気づきがありました。

 それについても別途書きたいと思います。

つづき↓

『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想③ ヤージュナヴァルキヤすごい
『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち 飲茶著』を読んだ感想その3。ヤージュナヴァルキヤという2500年前のものすごい人について。

読んでいただきありがとうございました。

合掌

↓この本について書きました。

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2)

史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち (河出文庫 や 33-2)

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