【ストレングス・ファインダー⑫】資質10.公平性

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はじめに

今日はストレングス・ファインダーの34の資質の内、「公平性」について書きます。尚、資質の説明は下記書籍「さあ、才能(自分)に目覚めよう」にある資質の説明文を私の独断と偏見で数行にまとめて記していますので、きちんとした説明を確認したい場合は、下記書籍をご参照ください。

公平性を強みに持つ人の特徴(草木無量が独断と偏見で数行にまとめたもの)

地位とは関係なく人々を平等に扱う必要性を強く信じている。よって誰か1人が特別扱いされることを望まない。それを許すことは一部の人がコネや出自、わいろによって不公正な利益を得ることにつながる。

こういった利己主義を心から嫌悪する。

規則が明確で誰にでも平等に適用される矛盾のない公正な環境で、人々が最高の働きをすると信じている。

草木無量の公平性の順位は5位

何とトップ5入りです。これは大いに思い当たります。ただ、上記説明の最後の一文は必ずしも信じていません。まぁそれについては最後に説明します(と書いたけど、この後思ったより長く書き続けてしまったので別の機会に書きます)。

上で私の公平性が高いのは大いに思い当たると書きましたが、それは下記2つの理由によります。

草木無量の公平性が高い理由として思い当たること2つ

①私は幼い頃から理不尽なことに気づいたときに、自分では解決できないいや~な気持ちで胸が満たされ、公平性について考えてしまうことが多かった。

②これまで就いてきた仕事の影響で私の公平性の資質が強化された。

草木無量の公平性が高い理由①の具体例1つ目:学級崩壊の理不尽さに悩んだ

まず、①について1つ例を挙げると、学級崩壊というのがあげられます。学級崩壊になるともう授業どころではなくなり、そんなクラスにいた人は学習の機会を奪われます。そうすると塾に通うなり、別の時間に自分で勉強するなりして補わない限り勉強が遅れます。

別に私自身はそういった学級崩壊がひどいクラスにいたわけではありません。ただ、中学1年で同じクラスになったW君(小学校は別でした)の小学6年の時のクラスがまさに学級崩壊だったと聞かされました。

W君は小学6年の時は授業にならず、5分も立たないうちに担任と児童の言い争いになり、「勉強なんてほとんど進まなかった」、「塾で補っていた」と言うのです。

こういうことを聞くとあの頃の私は、胸の辺りがモヤモヤと気持ち悪くなりいや~な気持ちになるのでした。

「自分がそのクラスにいたら今頃どうなっていたのだろう」とか「もし自分がその立場だったらどう対処するか」とかぐちゃぐちゃと頭の中で考え続けるのですが、それでもいや~な気持ちは解決しません。

そしてこう思うのです。「W君には何の責任もなく、たまたまそのようなクラスに配置されてしまっただけなのに勉強で不必要な苦労をしなければならない。こんな理不尽なことがあってはならない」

ただ、そう思っただけで自分が解決できるかといえば特に何もできず、ただただいや~な気持ちに支配されます。

草木無量の公平性が高い理由①の具体例2つ目:勉強を教えるのが下手な教師の存在に悩んだ

 2つ目の例です。1つ目と似たような話ですが、世の中には2種類の先生がいます。勉強を教えるのが上手い先生と下手な先生です。

 たまたま下手な先生に当たった場合は、上手い先生に当たった場合よりもスムーズに学習を進めるという観点で生徒は苦労します。

別に私が特別教え方が下手な先生に当たった訳ではありません。

しかし私のある友人は高校の頃、「あの先生が教え方が下手だから数学がわからなくなった」といつも言っていました。確かにその友人のクラスは明らかに数学の成績上位者が他のクラスより少なかったのです(私の在籍していた高校では成績上位者がプリントされて配られたのでわかるのです)。

その先生の教え方がいかに下手かということをその友人が説明するのですが、それを聞くたびにいや~な気持ちになるのです。話半分で聞いてもやはり相当下手らしいというのは明らかでした。

それでも、「たまたま友人のクラスに数学が苦手な人が集まっただけかもしれない。どうせなら自分がその先生に当たってそれでもきちんと数学でつまずかなかったということを証明したい。凡人の自分がつまずかなければ、友人の言葉はただの言い訳に過ぎない」とか訳の分からないことを考えたりしました。そう考えないと世の中が公平でないということになってしまうので、気持ちが落ち着かないのです。

まぁでも考えてみれば、ある学校の教師のレベルが全員均一な方が珍しいわけで、今考えても友人の数学の先生はやはりどう考えても教え方が下手くそでした。

生徒が教師を選べないからあるクラスだけ成績が伸びないといったことが起こるわけで、すごく理不尽なことだなぁと思いました。

この時は本気で生徒が自分の学びたい教師を選べるようになればいいのにと思ったものです。

草木無量の公平性が高い理由①の具体例3つ目:早生まれとそうでない人の間の不平等について悩んだ

3つ目の例としては、学年が1年で区切られていることです。

どういうことかというと、0歳と1歳ではできることに差があります。1歳と2歳でもできることに差があるでしょう(僕は子どもがいないのでよくわからないのですが)。このことから、6歳と7歳でも差があるし、10歳と11歳でも差があるのではないかと推測できます。

そういうことから考えて僕は、学年の早い方の生まれ(4月とか5月とか)の方が得で、遅い方の生まれ(2月とか3月とか)の方が損だと考えました。

同学年の4月と3月では1年近い差があるわけなので、3月の人はその学年のペースについていくのが大変で、学年内で比較された時に3月とか遅い生まれの人は劣等感を感じる機会が多く、それが、後々の人格形成にも影響するのではないかと考えたのです。逆に言うと4月とか早い生まれの人は優越感を感じる機会が多いのではないかと考えました。

何か知らんけど小学校高学年とか中学生くらいの時にこの考えが頭にこびりついて、これは不平等だなぁといういや~な気持ちを抱えていました。

そんな話を友人にもしたことがあるのですが、小学校に上がる頃(少なくとも3年生になる位の頃)には1年程度の差は気になるほどの差でなくなるというのが大半の意見でした。

たぶん通説とかもそんな感じなのかな?

でも誰が何と言ってもこの考え方は自分の頭にこびりついて離れませんでした。

ちなみに僕は5月生まれでした。弟は3月生まれでした。僕は小学校中学校ではそれほど勉強で苦労はしませんでした。僕はそのおかげか「自分はダメだ」的な劣等感を幼い頃に抱えたことはほとんどありませんでした。

むしろ自己効力感(雑に言えば「やればできる!」といった感覚)を持っている方だったと思います。そして弟は勉強はあまり得意ではありませんでした(別に劣等感はもっているようには見えませんでしたが)。

そこで考えたのです。僕が3月生まれで、弟が5月生まれだったら全く逆だったのではないかと。

僕が「やればできる!」という感覚を持てているのは運よく学年の早い方に生まれたからに過ぎないのではないかと。自分の能力とかではなく偶然学年の中で早く生まれたからその分有利だっただけに過ぎないのではないかと。それが何か自分の中ですごく嫌でした。そんなの不平等じゃないかと。

大学生位の頃に「起こる出来事は運命である」と考えることで気持ちが楽になった

 長々と書きましたが、このように僕は自分が理不尽・不平等だと感じたことについて延々と考え嫌な気持ちになってしまう癖をもっていました。

 ただ、今も上記と同じような考えに固執してしまっているかというとそんなことはなくなりました。

 たしか大学生の頃だったと思いますが、世の中には運命というのがついてまわるものだと自分に言い聞かせることで解決することにしました。

運命と似た言葉として運・不運という考え方がありますが、これまで運・不運という考え方は好きではありませんでした。もっと世の中は平等にできているとどこかで信じたかったのだと思います。「運も実力の内」みたいな考え方は好きではなかった。

しかし、運・不運もその人の運命と考え「その人が遭遇する出来事はその人の運命だから仕方がない。それ以上私が考えてもどうしようもない」と考えることでなぜか自分の中では気持ちが楽になりました。

学級崩壊のクラスに在籍するのもその人の運命、勉強を教えるのが下手くそな先生に当たるのもその人の運命、生まれた月もその人の運命、そう考えることで自分の中では嫌な気持ちに区切りをつけることができました。

そして今ではさらに発展して、そういった出来事には自分の課題が含まれていたり、何らかの意味があったりすると考えるようにもなりました(もっと発展すると引き寄せとかの話になるのですがオカルトと感じる人もいると思うのでこの辺にしときます)。

まぁこういった運命論をあまり声高に語るとそれで嫌な思いをする方もいると思うのですが、あくまでも自分の中でそう考えることで気持ちを処理することができるようになったという話です。

昔抱いていた上記具体例1,2,3における理不尽だとの思いは幼さゆえの非常に視野の狭い考え方だったと思う

ちょっと話を戻すと昔抱いていた上記具体例における理不尽だと思い至った考えは非常に視野が狭いですね。

どの例もざっくり括れば、結局は学習の進度についての視点で有利か不利か、不利だったらかわいそうと言っているだけですからね。

たぶん、学級崩壊のクラスや教え方が下手くそな先生に当たれば何か考えることがあって、何かに早く気づいたり、悟ったりすることもあるかもしれませんしね。

僕はその種の悟り的なことがなく(というか、理不尽的なことを感じながらも決定的につまづくことなく)なんとなく地元の進学校に行って、なんとなく大学に入って、

(就職したくなかったけど)仕方なく就職して、(転職は繰り返したけど)まぁある意味普通の感じでついこの間会社を辞めるまで人生を歩んできたわけです。

それがよいのか悪いのかはわかりません。まぁ自分としては今こうなっているのは必然でよいも悪いもないというかこうなるべくしてなったというか、結局はどうなっても幸せだとは思っています。

昔の視野の狭さに話を戻すと、早く生まれたか遅く生まれたかだってお腹から出てきたのが早いか遅いかで、早産で生まれれば4月に生まれても成長はゆっくりめになるだろうし、学年の中で遅く生まれたことでかわいがられて優越感を得られたりするかもしれませんしね。

それこそ家庭環境とか時代背景とか言い出したらきりがないほど個人の人格形成に影響を与える要素は無数にあるわけで、それらと比較した時に学級崩壊とか生まれたのが早いとか遅いとかっていうのが他と比べて決定的に人格形成に与える影響が大きいとは思えないですね。

えーと何の話してるんだ俺は?

あ、そうだ。私の公平性が高い理由について①として幼い頃からの考え方の癖からきているということについて書いていたのでした。①についてはこれで終わります。

草木無量の公平性が高い理由②:これまで就いてきた仕事の影響による

次に「②これまで就いてきた仕事の影響で私の公平性の資質が強化された」について書きます。

①の説明が長くなりすぎたので②は簡潔にいきます。

私は直近の職場では総務の仕事に就いていました。

総務っていうのは規定を作ったり、それを守らせたり、昇給とか昇級の基準を作ったり、それを基に評価に関わったりする職場です。一度基準を作ったらそれを基に平等に判断したり、評価したりしなければなりません。

そういった仕事をしているとどうしても公平性という資質は強化されます。

その他、総務以外にも公平性を発揮しなければならない職場にいたこともありました。

そんなわけで生来の公平性の資質に加えて仕事を通してさらに私の公平性の資質は強化されました。

②についてはこれで終わり。

まとまってないし、僕とか私とか入り乱れていたり支離滅裂だったりするかもしれないが無理やり終わりにする

 なんだか①のことをいろいろ書いて支離滅裂な部分があったり、説明しきれていない部分があったりするのですが、書けば書くほどどつぼにはまるので、まとまったようでまとまっていないような感じですが、

今更直すのも面倒なので投稿してしまいます。

思ったことを思ったまま書いていたらストレングス・ファインダー関係の記事では現時点で図らずもこの公平性の記事が№1の分量となりました。

というか、今まで書いた全ての記事の中で一番長い記事となっておりびっくりしました。

以上です。

読んでいただきありがとうございました。

合掌

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